戦後直後の用地補償問題

 第二次大戦の激化と終戦によって一時中断されていたわが国の公共建設事業も、昭和二十二年頃からいわゆる見返り資金によって再開されました。ところが昭和二十一年に発布された日本国憲法は、国民の基本的権利を明瞭に宣言し、国民の意識の中にも民主主義が次第に芽ばえてきましたから、国の行政に対する国民の批判は、戦前とは比較にならないほど強くなってきました。しかも従来公共用地取得のよりどころであった土地収用法は、新憲法発布後もしばらく旧法のままで死文に近く、一方では農地改革が行なわれ、また占領軍による接収が、国内法とは無関係に行なわれていました。
 ここでは土地収用制度の根本に関して多くの影響を与えた三つの問題をみておきましょう。

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 昭和二十一年十月、自作農創設特別措置法と農地調整法改正が成立し、いわゆる農地改革が行なわれました。この農地改革は、財閥の解体などと並んで占領軍の強い指示によって行なわれたものですが、少なくとも形式的には、占領軍の指令にもとづくものではなく、目本の政府が作成し、日本の議会が可決成立させた法律にもとづいて行なわれたものです。
 農地改革の内容は、よく知られているように、不在地主所有の全貸付地と在村地主の貸付地のうち一町歩を越える農地を、国が強制的に買収し、これを小作人に売り渡すというものでした。昭和二十二年三月の第一回買収から昭和二十五年七月の第六回買収までに約ニ〇〇万町歩の農地が開放され、さらに四五万町歩の牧野と四五万町歩の未墾地も開放されました。
 農地買収の価格は、水田の場合賃貸価格の四〇倍、畑の場合四八倍と決められ、他に報償金が支払われました。これらの単価は、昭和二十年十一月を基準として、当時の米価(公定価格)と生産費とから地代相当額を計算し、これを国管利率で資本還元してえたものであり、算定当時にはそれなりの根拠をもつものでした。ところが、その後の激しいインフレーションの進行によって、これらの買収単価は非常に安いものになってしまったのです。
 そこで、旧地主のなかから、あまりに安い買収価格を決めた「自創法」は、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共の福祉のために用ひることができる」と規定した憲法第二九条第三項に違反した無効なものであるとの訴訟を起こす人々が出てきました。この訴訟に対する最高裁判所の判決は、昭和二十八年十二月に下され、その結論は、「自創法」の買収価格は、憲法の正当な補償に当たるというものでした。
 この訴訟をめぐってわが国の法律学会に、正当な補償の解釈に関する完全補償説と相当補償説との論争が起こったことは、前述でもふれたとおりです。
 明治三十三年に制定された土地収用法が、国民の基本的な権利を擁護するという点ではなはだ不十分なものであり、その意味で非民主的な法律の一典型であったことは、前述の谷中村事件からも明らかです。ですから、戦後の民主主義の高揚のなかで、土地収用法が改正されたのは当然といえましょう。土地収用法の全面改正は昭和二十六年に行なわれました。
 この改正で特徴的なことは、収用法が適用される公共事業の範囲が明確になった、事業認定の手続きに関する規定が厳密になった、収用審査会が収用委員会と名前を変え、その組織が民主化された、収用の対象となる権利の規定が明確になりへ損失補償に関する規定が精密になったことなどです。
 これらの改正点は、旧法にくらべれば確かに民主的な進歩といえます。しかし、法律の条文がいかに民主的な考え方に立ってつくられたとしても、その運用が非民主的になる可能性は絶無とはいえません。改正後の土地収用法が真っ先に使われた事例が、つぎに述べる駐留軍の基地用地の接収であったことは、改正収用法にとって誠に不幸であったというべきでしょう。
 昭和二十六年九月に日米安全保障条約が調印され、二十七年二月には日米行政協定が調印されて、日本政府は日本に駐留するアメリカ軍の必要とする演習場その他の施設を提供する義務を負うことになりました。そして、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基づく行政協定の実施に伴う土地等の使用等に関する特別措置法」という長い名前の法律がつくられ、駐留軍用地の調達に関しても土地収用法が適用されることになったのです。
 いわゆる基地をめぐっては、妙義、内灘、百里、東富士などの各地で反対運動が起こりましたが、なんといっても立川飛行場の拡張をめぐる砂川事件が最も有名です。
 立川飛行場の拡張は昭和三十年に決定され、はじめの拡張計画では五万二〇〇〇坪、約一四〇戸を補償対象とするものでしたが、昭和三十年十月の第一次収用認定は約一万九〇〇〇坪、三十一年九月の第二次収用認定では約三〇〇〇坪を対象としていました。
 この基地の拡張に対して地元民が反対し、三十一年十月には約一〇〇〇名が重軽傷を負うという衝突事件が起こりました。この事件に関して、東京地方裁判所が、アメリカ軍の日本駐留は憲法第九条に違反し、したがって「刑特法」(「日本とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基づく行政協定に伴う刑事特別法」、昭和二十七年法律一三八)も憲法違反であるから無罪であるとの判決を下し、これを不満とする検察側が最高裁に上告して、最高裁は、裁判所には条約を審査する権限がないという理由で、原判決破棄の判決を下した(昭和三十三年十二月)ことはあまりにも有名です。
 収用に関しても、土地収用法の適用をめぐって、地元からは、土地収用認定取消請求訴訟と土地収用認定無効確認請求訴訟とが起こされました。他方政府側からは、土地収用裁決申請書の公告と縦覧を行なわなかった砂川町長を相手に職務執行命令請求訴訟が行なわれたりしました。
 砂川事件に限らず、基地の用地補償問題に共通していることは、事業の目的に関して起業者と地元との間に決定的な意見の不一致があることです。
 一般に、事業が憲法第二九条にいう公共の福祉のためになるものであるか否かについて、あるいは土地収用法第一条にいう公共の利益の増進に役立つものであるか否かについて、事業の起業者と土地所有者との間に激しい意見の対立のある場合には、土地収用法は、起業者側の権力の道具としてみられがちです。基地用地の接収に関しては、土地収用法は、依然として起業者側の。伝家の宝刀として使われ、あるいは「任意協議に応じなければ、収用法によってタダ同然で強制買収されますよ」という形の威嚇の道具として使われ、改正後の収用法にも、暗い影がつきまとうことになってしまったのです。

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