無能力者との契約

法律上の行為に関して、未成年者や精神ないし肉体に欠陥のある者につき通常の成年者と同等の能力を認めず、特別の制度を設けてこれを保護することは古くから行なわれており、例えばローマ法においても、未成熟者は後見に付し、成熱期以上二五歳未満の未成年者は保佐に付すこと、精神錯乱者、聾者、唖者などを同じく保佐に付すことが行なわれていたことなどが知られています。さらに、はるかに下って、個人の意思に、その者を拘束する根拠を求める私的自治の原用の発展、および、法律行為なる概念の確立をとおして、かかる制度は近代法の中に位置づけられるに至りました。つまり、ある者の意思の表明に基づいて権利義務関係の変動が生じる行為を法律行為と呼び、したがって、有効な法律行為をなすためには、行為者に正常な判断力を伴った意思を必要とするという考え方が承認されるに至ったことがそれです。かくして、自己の行為の結果を判断することのできる精神能力をもたない者、つまり意思能力なき者の行為は無効という結論が導き出されます。

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不動産

意思無能力者の行為が無効であることは、このような意思理論から承認される結論ですが、このことは、他面、意思無能力者本人の保護という作用を形成することともなります。ところで、意思無能力者が自己の行為につき法律効果が生じないことを主張するためには、その行為当時意思能力がなかったことを自ら証明しなければなりませんが、これは必ずしも容易ではありません。また、意思能力は、私的自治の原期の要請を満たす理論上の最低限度の精神能力を意味するため、この能力を有するだけで社会的、経済的活動の次元において通常人と同一に取り扱うことはできません。そこで、一定の者に対し、その者のなした法律行為の効果に一定の制限を加えることがその者を保護し、あわせてこれと取引をする相手方をも警戒させることとなるとして認められたのがいわゆる行為無能力者制度である、と一般に説かれています。
民法では、未成年者、禁治産者、準禁治産者を行為無能力者とし、それらの者のなした行為は取消し得るものとしています。かつては妻も無能力者とされていましたが、現行憲法の施行に伴いこれが廃止されたことは周知のところです。
民法上意思能力のない者のなした行為は無効であることは通説、判例により一般に承認されており、そのことを前提として、これを昇華、転化した形で行為無能力制度が存在しています。そして、行為無能力者の行為は取消し得るため無能力者が行為時において意思能力がなかった場合には無効の主張と取消しの主張が競合することとなります。いわゆる二重効の場合の一例です。この点に関しては次の二つの問題が生じます。第一は、無効な行為に関しあえて取消しの主張を認めることの是非、というよりも、この場合は逆に、意思能力のない者のなした行為が無効なることを前提とし、それを客観化し画一的に制度として確立したものが無能力者制度なのであるため、行為無能力による取消しのみが認められるべきであると考え得ることです。このような観点から、意思能力の制度は行為能力の制度に昇華し転化してしまったため、この趣旨を貫くかぎり財産的法律行為に関しては、実定法上意思能力の制度は存在しないとする論者もあります。ただ、この説によるときは、禁治産宣告を受けていない精神病者その他一事的に心神喪失に陥った者の行為をどう評価するか、という問題が残ることになります。第二は次の点です。無効と取消しの根本的な差異として、無効はなんびとの主張を待たず当然効力を生じないのに対し、取消しは一定の者の主張を待ってはじめて効力を生じるということが説かれています。しかしながら、現に社会的に存在する一個の法律行為が当然無効であるならば、その無効であるか否かが争われるということはあり得ないはずであり、特定の行為につき何人かがその無効なることを裁判上主張し、裁判所がその行為に関して表示された効果意思の内容たる権利関係、ならびにそれについて法律が規定する権利関係、を承認してはならないと結論して、はじめて当該行為の無効なることが実在化するに至るのです。この意味では、無効と取消しの差異は、取消しが一定の取消し権者が主張し得るにとどまるのに対し、無効は何人からも主張し得るということになります。そこで、行為無能力者にも意思能力の理論の適用を認め行為の無効を承認する余地を残すと、行為者側は取消しを欲しないのに相手側から無効が主張され得るということが生じます。これを許すことは、民法が無能力者の行為を取り消し得べきもの、つまり不確定的有効とした趣旨を実質的に没却することとなります。無能力者制度が存在する以上、意思能力の制度は財産的法律行為については存在しない、とする説が唱えられる実効性の一半は実はこの点に存するのです。そして、この説が先述のような難点を有しているとすれば、これを回避するために、未成年者、禁治産者、準禁治産者については取消しの主張のみが許され、無能力者宣告を受けていない者ないしは泥酔者などの一時的に心神喪失に陥った者についてだけ意思能力の理論を残すことも考えられます。しかし、かように解しても、無効と取消しとでは、例えばその主張の許される期間が異なることなど、行為者の保護の及ぶ距離に長短がある以上行為無能力者制度内に取り込まれた無能力者に不利な結果を導くことがあって、やはり欠点が存することになります。したがって、これを是正するためには、単に意思能力を欠くという形で問題とされる場合にも、心神喪失の常況にある者に関する禁治産者の規定を類推適用することで、意思無能力者の行為、無効という意思無能力の理論を払拭し去るか、あるいは、意思無能力による無効を全面的に認めつつも、表意者本人の保護を目的とする錯誤による無効の場合と同じく表意者の側からする無効の主張のみしか認めない、という解釈をとるかのいずれかに立たざるを得ないのです。よって、無能力者と契約をなした相手側は、無能力者が当該行為当時意思能力のなかったことを立証して行為の無効を主張することは許されないという結論になります。
無能力者の行為であることを理由とする取消しの効果として、債務の既履行部分は無能力者と相手方との間で不当利得として相互に返還されることとなりますが、その際無能力者は現存利益の返還で足るとされています。したがって、相手方にとっては、場合により既履行部分の全部もしくは一部の返還が拒まれることが生じます。さらには、無能力者との契約が取り消されたことにより積極、消極に損失を被ることもあります。他方、不法行為責任においては、「其行為ノ責任ヲ弁識スルニ足ルヘキ知能ヲ具へサリシ」末成年者および「心神喪矢」者の場合に責任能力なしとされるのであるため、一定年齢以上の末成年者および準禁治産者は、行為能力の面から無能力者として保護を受けることができても、契約責任と不法行為責任との競合を認める立場からは不法行為責任が追及される余地がでてくることとなります。そして、相手方の損失においても無能力者であるがゆえにこれを保護しなければならない、とするのが無能力者制度であるとするならば、「不法行為と構成することによって結局は法律行為上の責任を追及するのと実質的には同じになるような法的処理は、原則として不可能であると解すべきであろう」とするのが妥当であると思われます。ただ、このように解してもなお釈然としないものは残り、例えば無能力者が、給付受領物を浪費すれば後に取消したとき費消部分を返還しなくともよいことを見越して引渡し受領した場合、あえてこの者に現存利益返還の保護を認むべきかというような疑問も生じないわけではありません。民法一二一条但書の起草者は、無能力者の多くは本来浪費癖のあるものであって、このような者に全額返還を認めるときは、無能力者保護の実質は貫徹できないとして本状但書を置いたようですが、かかる考え方に立てば、この場合でも不法行為責任の追及を許さずとして保護することが正論ということになるでしょうか。
無能力者のなした取り消し得べき行為を原因として登記が申請された場合、適法な申請として受理されるでしょうか。この点を肯定するときは、無能力者の相手方は、無能力者が登記に協力しないときは登記請求権を行使して不動産の移転登記を受けることが可能となります。判例では、無能力者が同意権者の同意なくしてなした登記申請は不動産登記法三五条一項四号に該当し、同四九条八号によって却下すべしとしています。もっとも、かかる登記申請が一旦ん受理されたときは、抹消登記の登記権利者は、その登記義務者と共同するかまたはこれが意思表示に代わるべき裁判を提出し、また、登記上利害関係ある第三者あるときは、その承諾書またはこれに対抗することを得べき裁判を提出するにあらざれば登記の抹消を申請できず、登記に対する抗告の方法によって登記の抹消を求め得ないとしています。学説は、判例と同じく却下すべきであるとするものもありますが、近時は、取り消し得べき行為も取消しあるまでは有効であることを理由として、適法な申請として受理すべきであるとするものが多くなっています。

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